本ブログでは、日浦祐次氏の過去のブログ記事を掲載させて頂いております。日浦氏にとっては過去のものであり、現在のご自身と、運営する瞑想教室「サハスラーラ新宿」にとっては不要とのお考えから全文削除されたそうです。管理人が、過去に日浦氏のブログにより救われた経験を持つため、後に続く真理を求める人のために是非とも!と、再掲載をお願いいたしましたところ快くご承諾下さいました。この場を借りて、日浦祐次氏に厚く御礼申し上げます。 Copyright © Yuuji Hiura all rights reserved.
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丹沢山中の瞑想修行11
「おい、上流に光りがある。誰かいるぞ」と言ったのが聞こえた。
修験者がいう光りとは わたしの身体を言うのだ。
100m先にいるわたしを感知するとは、さすが修験者だと感心した。
もちろん彼等は、この世の者では無いのだ。
修験者たちは、大きな石の上を軽々と飛び越えながら、
テントの方に向かってくるではないか。
四次元身体の修験者は驚くほど身が軽い。
まるで漫画の忍者のように、大きな石から滑り落ちる様子も無く、
軽々と飛びながら走って来る。
おそらく彼らは、空も飛べるのかも知れない。
わたしは、彼らの侵入を警戒し、
自分の身体とテントの周りに結界(エーテル・エネルギーのバリア)を張った。
結界を張るという経験も無いが、その活用法を知っていたようだ。
あっと言う間に近づいた修験者は、ゆっくりとテントの周囲を廻り始めた。
ざくっ、ざくっ、という砂利を踏む音が聞こえる。
ザクッ・ザクッという音は、杖の先に ある金属が砂利を突く音だ。
チャリ~ン・・・チャリ~ンという金属音は、
金属の輪が ぶつかる音だろうか。それとも手に持つ金の音か。
あの世の修験者が身近に来ることなど、 始めての体験であり、
眠気、寒気が吹き飛び、体中のアドレナリンが沸騰するようだった。
「おい、結界が張ってある。中が見えないな。」 結界を見破るとは、さすが修験者だと思った。
しかし、修験者から見たわたしの結界は、 どのようなものだろうか興味があった。
屋外にいる修験者に聞いてみたいと思ったが、 やはり怖いから沈黙していた。
すると、修験者の声が高鳴った。
「誰か知らないが、出てこい!」と。
丹沢山中の瞑想修行10
二日目の夜が来た。
見上げると、漆黒の夜空には美しい星が瞬いていた。
谷川の空気が澄んでいるから、都心の夜空とはぜんぜん違う明るさである。
手を伸ばせば、うるうると震えるような星に届きそうな感覚になる。
天空にちりばめられた星の下で、お気に入りの岩に座り瞑想に入ろうとした。
しかし、まだ激しい空腹感が身体と感覚意識に残っている。
この空腹感覚を遮断しないことには、
何もする気がなくなり、瞑想どころではない。
どうやったら五感の感覚と反応を遮断できるのか、
それも学びのテーマであった。
このときの瞑想は、我流であって、ヨーガや禅の知識は無かったが、
瞑目すると思考の働きとは別の感覚が沸いてくるから、
深いトランス状態に入ることができた。
時計の針は 24 時になったので、
就寝のために寝袋へ入り眼を閉じた。
真っ暗闇になるはずが、テントの中と外が明るく観える。
体は寝袋に入っていたが、意識は異次元に入り、視界が 360 度に開いている。
眼を開けても閉じても 360度の範囲が同時に観えるという状態である。
周囲を見渡すと、約100m下流の大きな岩の上に、二人の男性が立っていた。
こんな山中の深夜に人が居るのはおかしい。
わたしは意識を拡大し、彼等を眼前に引き寄せて観た。と言うより、
彼等の手前まで、自分の意識を拡大したという事である。
その二人は、わたしの数m先にいた。
その姿からして、どうやら山岳宗教の修験者らしい。
何か会話をしていたが、水流の音で聞こえない。
さらに意識を膨張すると、修験たち者は わたしの眼の前にいた。
会話がはっきりと聞こえたが、それどころではない。
彼等は私の存在を感知したようだ。
丹沢山中の瞑想修行9
このことから、わたし達が意識とか想念を内省し、観察するとき、
すでに異次元世界に繋がっていることを知らなければならない。
このことから、意識の内面を見ようとするとき、
恐怖や恨みなど、ネガティブな想念は、光りの球に包まれず、
むき出しの映像が飛び出てくる場合がある。
それは、物だけでなく、動物や人間、時には妖怪や魔物の姿だったりする。
だから、こころの世界には、光りもあれば、深遠な闇もあると言える。
わたし達が意識的、無意識的に考える物事は、
不滅の生き物を作るということは、
霊的な視力を持って、確かに観ることができるから言えることなのだ。
その不滅の生き物は、主に潜在意識の領域から出入りする。
潜在意識と言うのは、人類全体の意識(怒りや 悲しみ、喜びや愛、破壊や殺戮その他すべて)が関わっている。
この途方も無い情報量の潜在意識は人類の目覚めを妨害している、とも言える。
いくら表面意識を浄化しても 或いは、人格的に素晴らしい人だからといっても目覚めには至らない。
真理を探究する には、潜在意識の世界へ降り立つ覚悟が求められるだろう。
しかし、このことについては、 多くを語らないほうがいいのかも知れない。
丹沢山中の瞑想修行8
想念というのは、自分のものであれ、他人のものであれ、
それらがカラーの立体動画になり、
それらを観るという体験は、
この時が初めだった。
分かったことは、放たれた無数の想念は、
ひとつ一つの球に包まれるから、それらの球を数えることにより、
個別の想念を識別できる ということである。
その数が多くても、ぜんぶを瞬時に観る事が出来るのは、
時の制約がない異次元の世界だからだろう。
その想念が生まれるのは、大脳からではない。
エーテル身体よりも上位の次元から生まれているようだ。
それからがエーテル身体、そして、肉体の大脳へ伝わるのだ。
つまり、物事の原因は、四次元以降から作られるため、
それが大脳へ伝わるとき、僅かなタイムラグがある。
このズレを感じる感受性の鋭い人もいるのではないか。
別の言い方をすれば、
人が想念を発するよりも前に想念を観ることが出来る、というのも事実なのだ。
こころの中で想う事は、他人には分からないと思うこと自体が間違った認識なのだ。
恐るべし、こころの世界。
また、人が言葉を発する以前に想念があり、
それを先に観ることができるということであり、
他人が言葉を用いるよりも先に想いを知ることが出来る。
人は無意識的、また瞬時的に多くの想念を抱くけれど、
そのすべてが同時に観えて、瞬時に理解できることが分かった。
この体験から、むかし聖徳太子という人は、
10 人が同時に語ることが同時に理解できたと伝えられているが、
その伝説は、本当だろうと納得した。
丹沢山中の瞑想修行7
「二日目の朝」
その朝は快晴だった。
少し気温も暖かいので、裸になって、
川に入って髪と体を洗ったが、 身体を刃物が切るように痛い。
それほど水は冷たい。
タオルで体をこすっていると血行が促進されて体中が温かくなった。
谷川の中央には大きな岩があった。
その上に裸で座り、背筋を伸ばして呼吸法を行ったが、
自分自身が古代の修行僧のように感じた。
このような山中の修行をやるのは、過去世の経験からだろう。
中学生の頃、白隠禅師の呼吸法を体験していたが、
要領が分かれば、自分に合った呼吸法を見いだして、
それを常用化すればいい。
内省のテーマであった「父と子の関係」、「生活の改善」については、
一夜の考察を持って決着がついた。
これから、金縛りと黒い光り、悪魔について考察するつもりだが、
どう対応したらいいのか。
分かることは、経験と推論が働く思考の働きでは、
解決できない体験だという事だった。
三次元の思考を離れた異次元へ入らなければ、
黒い光りについて知ることはできない。
その解答を求めるための瞑想に入った。
呼吸と共に身体感覚を緩めながら、
思考と感情、 大脳の振動も弱めてゆく。
それらの波動が穏やかになると、
そこには、異次元の世界が開かれた。