本ブログでは、日浦祐次氏の過去のブログ記事を掲載させて頂いております。日浦氏にとっては過去のものであり、現在のご自身と、運営する瞑想教室「サハスラーラ新宿」にとっては不要とのお考えから全文削除されたそうです。管理人が、過去に日浦氏のブログにより救われた経験を持つため、後に続く真理を求める人のために是非とも!と、再掲載をお願いいたしましたところ快くご承諾下さいました。この場を借りて、日浦祐次氏に厚く御礼申し上げます。 Copyright © Yuuji Hiura all rights reserved.
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管理人太郎、一押しの記事になります。
日浦氏のブログの記事の中でも特に何度も読み返したものです。私たちには見えない世界のことが、サラリと書かれていますが未だかつて聞いたことがない驚愕の体験です。26歳にしてこの経験。日浦氏の非凡さを感じずにはいられません。
丹沢山中の瞑想修行1
これから書くことは、僕が26歳の時に体験した瞑想修行です。
読者の参考になれば幸です。
ですが、リスクが大きいので参考程度にとどめ、
実践しないほうが良いかもしれません。
金縛りと黒い光りの原因を知るには、もっと自分を振り返る必要性を感じた。
そこで、現実から離れて、人里離れた山中の瞑想修行を決意したのは、
某開祖の書籍が黒い光りを放っていたことの理由、
開祖の正体も追及しなければならない。
それを含めて、 深い山中を選んだのだ。
なぜ山中なのか。自分を限界の外に置くことにより、
普段は知らない自己を発見できる可能性があると考えたこと。
だから、出来る限りの極限状態をつくるため、
寒さと闇の中で、断食瞑想を計画した。
その環境の中で、自分の心理がどうなるか、
どのような 感覚思考になるのかを体験してみたいと考えて、
神奈川県の丹沢山を決意した。
瞑想には、十分な思索時間を使うため、
10 日間の休みを取り、その計画書を作った。
先ずは未体験の断食を体験することとし、食料はなにも用意しない。
嗜好品のタバコもコーヒーも持たないことにした。
そんな構想を練っている自分は、
「本当に大丈夫か? やれるのか?」という疑問も湧いたが、
決意したからには、やらなければならない。
照明は小さなロウソク 10 本。
そして、月明りを利用することにした。
寝具は寝袋のみとし、あえて毛布も排除した。
衣類も着替えを用意しなかったのは、
人のいない山中だから裸でいいだろうと考えた。
飲料水と入浴の水は、谷川の水を使う計画だ。
体を洗う石鹸と歯ブラシ、
そして、瞑想体験を記録するノートにボールペン。
一人用の小さなテント、それらを収納するリュックサックを準備した。
美女と白い大蛇21
わたしと先生は、信者達の目には見えない霊的世界において、
互いの力を出し切った壮絶な戦いを繰り広げたのだった。
それは先生との戦いではなく、
先生の背後にいた「某霊団」との戦いを意味する。
このブログでは、その断片を簡略化して書いたに過ぎない。
この勝敗はどちらが優勢なのか判別がつかない。
わたしと先生の対話だけを聞いていた信者達は、
先生と同じ期待(教団の主になること)を抱いていたのだろうが、
見えざる霊的世界に繰り広げられた壮絶な戦いを知らないはずだ。
信者たちは、わたしの決意を知って、「主」を断ることを止めなかった。
ただ先生の場合は、過去世の約束だから、
主を引き受けて欲しいと言った。
更には過去世において、わたしが師であり、
先生が弟子であって、これらの霊術を師(わたし)から伝授されたとも言った。
それが事実なら、わたしは約束を守らない師ということか。
というか、弟子が思い出した過去世を師が思い出していないということか。
もし、そうだとすれば、師は愚かであり、
その弟子は優れた霊能者であり、
かつ優れたヒーラーに成長したとも言えるだろう。
先生の言葉が事実なら、わたしを師と仰ぐ必要も無いだろう。
わたしは先生との過去世について、
その記憶を忘れていたが先生の存在は懐かしい弟子として認識していた。
この先生は、もう師としての力があったのだから
わたしは、敢えて、「主」になることを遠慮したのも事実だった。
弟子が正しい成長を果たすことは何よりの喜びなのだ。
この出会いの関係は、ここで終わらなかったが、
ブログ記事の上では終わりとしたい。
この体験から約一年後、別の宗教団体において、
やはり「主」に勧誘される現象が起こった。
その誘いも断っているが、誘いを断ったゆえにか、
長年の苦悩を体験することになった。
そのことは忌まわしい思い出だから、
自伝書「覚醒への道標」からも削除した。
この度、瞑想教室を開いたのは、
過去世に失敗した宗教体験の反省を踏まえている。
完
美女と白い大蛇20
この当時、わたしは「瞑想」について、あまり知らなかった。
というか瞑想という言葉を知っていたが中身は知らなかった。
ただ宗教というものが遥か太古の時代から、
人間を盲目にするシステムだという認識があった。
それは、わたしが過去世の一部を思い出したとき、
同時に知覚した古い記憶なのだ。
それら宗教の多くは、神や霊魂を語る。
生まれ変わりも説く。
そうした現象等も示すことができる。
遠いむかし、わたしも宗教を打ち立てた体験をもつ。
人々を目覚めさせようとしたことが、意に反して、よい結末にならなかった。
その後悔から、宗教や霊的世界の関心を強く押し隠して生きている。
それが現在の自分なのだ。
過去の反映こそ、現在の生き方なのだ。
瞑想という言葉は、過去世に体験した宗教のイメージを持っていた。
だから瞑想について、その中身を知ろうという欲求も押し殺してきた。
中には人間の目覚めを邪魔する霊的な世界がある。
また金儲けの宗教も多い。
多くは、それらの詐術に陥ってしまう。
今回のケースは、その原因が分からない。
金縛りになって、 苦しんでいる先生は、
かなりレベルの高い霊能者であることが分かる。
過去世においても、 様々な霊的修行を体験しているに違いない。
この先生と出会ったのは、何かの「縁」によるのだろう。
残念ながら、この先生の過去世を知ることが出来ない。
自分が思い出した部分的な過去世の記憶のなかにも先生の記憶が無かった。
腕時計を見たら、もう二時間以上も経っていた。
ランチ・タイムを逃がしたから、空腹だった。
結末はどうあれ、わたしは先生の金縛りを解いた。
先生は深い呼吸を繰り返し、起き上がって、タタミに座った。
「大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。」
「先生、わたしは帰ります。お元気で。」
先生の金縛りを解いた理由は、この先生が苦しんでいるからであった。
金縛りを解いて、再び 神がかりになったとしても、
それは先生が元々持っていた性質であり、
わたしの責任ではあるまい。
もし、この先生の幻術によって、
わたしが得体の知れない神々に支配されたとしたなら、
それは、 わたしの力不足だと思えばいい。
或いは、予定された体験の一部(教団の主という椅子)だと受け止めることも出来るだろう。
そうした見えざる理由はどうあれ、
今の自分は宗教団体の主になる気がないことは明らかだ。
もし、この出会いが過去世の約束事であるとしたなら、
約束事を 破棄するのだから、
繰り返し、こうした現象が立ち現れる可能性があるに違いない。