本ブログでは、日浦祐次氏の過去のブログ記事を掲載させて頂いております。日浦氏にとっては過去のものであり、現在のご自身と、運営する瞑想教室「サハスラーラ新宿」にとっては不要とのお考えから全文削除されたそうです。管理人が、過去に日浦氏のブログにより救われた経験を持つため、後に続く真理を求める人のために是非とも!と、再掲載をお願いいたしましたところ快くご承諾下さいました。この場を借りて、日浦祐次氏に厚く御礼申し上げます。 Copyright © Yuuji Hiura all rights reserved.
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美女と白い大蛇16
「先生は、天照大神の姿を観たのですか?」
「全身から、美しい真珠色の光りを放つ男性の神です。」
なるほど。この美人先生には、恐ろしい白蛇の姿ではなく、男性としての姿を見せるのか。
しかも女性の神として現れるより、女性には男性の神がいいのだろう。
真珠色のオーラを放つというのは、わたしの認識とも共通している。
だが、天照大神の意識というものが白い大蛇の化身になるのだろうか。
白蛇の化身は、天照大神ではないかも知れない。
もっとも 神話と言うものは、人間の創作であるから、
そのまま伝承を信じ込む理由も無い。
白蛇の化身は、もっと多くの情報を語ったが、その内容は割愛する。
わたしと先生は、テーブルを介して対話しているが、
先生は言葉以外にも別の想念を放っていた。
つまり、信者たちの前では、語れないような想いが秘められていた。
それは、 過去からの越え難い男性不信というトラウマを抱えながら、
30 歳を過ぎた女性としての 将来への不安であったと思われる。
このまま、独りで老いることへの不安があった。
だから 先生の信ずる神が認めた「主」に対し、
信頼すべき伴侶としての期待が湧いたのだろう。
それが先生の希望であった。
そんな先生には、気の毒なことかも知れないが、
わたしは 再度、意志を表明した。
「わたしは宗教も霊的なことも嫌いです。教団は引き受けられません。」
そう言うと、先生の表情が曇った。
もう一年もまえから、主の出現を神から預言されていて、
先生には、確かな期待感になっていたからだろう。
「どうすれば、引き受けて貰えるのですか?」
「なんら条件はありません。」
そう言うと先生の意識は、絶望状態になったようだった。
美女と白い大蛇15
さて、白い大蛇、美人先生との結末も書かないと。。。
「主さま、教団の運営を了解してくださいませ。」
先生は、嘆願するような声で、そう言った。
全国にある教団の施設、すべての信者たちが、
わたしを主さまと崇めるなど、普通ではありえないことが起こっていた。
もし、その気になれば、 リッチな暮らしが出来たのかも知れない。
だが、間違っても、東京ドームを借りて、
「我は、 なんとやらである!」と言うような馬鹿はやらない。
残念ながら、わたしは宗教を運営する気は、この時も今もない。
しかし、白い大蛇の化身は誰なのか。
それに目を付けられた自分は誰なのか。
また白蛇と再会するとは、一体どういう事か、それが気になった。
先生は、わたしが教団の運営に無関心だと気付いたのだろう。
「あなた様には、身も心もすべてを捧げます。」とまで言った。
それは色仕掛けのつもりなか。
「先生、あなた方の信じる神は、何かを知っていますか?」
この教団は、神のお告げにより、わたしを一年前から待っていたという。
わたしが教会の主になるのだと言っていた。
そんな話しは、にわかに信じ難いが、
この先生と信者達の対応を見るとき、
彼等は本気だと思わざるを得なかった。
白い大蛇の化身は、もう気配が無いから立ち 去ったようだった。
先生は、静かな口調で、神の名を語った。
「わたし達を導かれるのは、天照大神です。」
天照大神(あまてらす・おおみかみ)というのは、
日本の神様の中では、最高位を占める太陽の神であり、
高天原(たかまがはら)の主宰神だとされる。
男性神説と女性神説とがあるようだが、
両説が争う中、ハッキリとした証拠は無さそうだ。
しかし、この先生が着物を着て、和歌を口ずさむのは、
高天原(たかまがはら)の祝詞か、または神道系の祝詞か。
100 帖敷きの広間にある祭壇は、神道系を思わせていた。
言うまでも無く、白蛇の化身が 天照大神(あまてらす・おおみかみ)だという証拠はない。
美女と白い大蛇14
しかし、信者たちは、わたしをすんなりと帰してくれるのだろうか。
あの先生は、大丈夫だろうか。
これからの教会はどうなるのか。
など心配があったが、わたしに関係の無いことだった。
すくっと立ち上がって帰ろうとしたら、
信者達も立ち上がって、わたしに近づいてきた。
その時、白い大蛇は、こう言った。
「また会うことになる。」
蛇は執念深いと言われているが、霊的な蛇も執念深そうだ。
どこで再会するのか知らないが、 霊と蛇は好きではない。
わたしを取り囲んだ信者たちは、暴力を振るうのかと思ったが、
それは違った。なぜか表情が穏やかだった。
すると先生が、
「主さま、あなたは独身ですね。」
この先生は、なにを考えているのか。
24 歳のわたしが独身だなどというのは、あてずっぽうだろうと思い、
わたしは、あえて嘘を言った。
「もう結婚しているよ。」そう言い返すと。
「いいえ、主さまの周りにオンナはいるけど、独身です。」 先生は確信をもって言い切った。
事実、わたしはまだ、結婚してはいなかった。婚約もしていなかった。
この先生は霊能があるのか?それとも白い大蛇が乗り移っているのか。
「主さまが来られることを、みながお待ちしていました。」
「だれがわたしを見つけたのですか?」
「一年前から、神のお告げがありました。
そして、いま、主さまが外を歩いていると告げられました。
主さまは、彼が識別したのです。」 そういうと、一人の青年を指差していた。
その青年は、わたしに声をかけた人物だった。
彼は霊視が利くのか。いやいや、白蛇が乗り移って、
わたしを捕獲したのかもしれない。
そうであるなら、わたしが教会の主になるというのは、
白い大蛇のお膳立てではないか。
「わたしは、霊的なことと、宗教は嫌いだよ。」
「主さまのお考え通りに運営してください。」
「だから、教祖なんてなりたくないって。」
「主さまは、大勢の人を救える方です。宗教が適切です。」
周囲の信者達は、先生と同じ考えなのだろう。
彼等の眼差しは、わたしを主に相応しいと思い込んでいたようだった。
彼等の神とは、白い大蛇の化身であり、悪魔では無さそうだが、
得体が知れないのだ。おそらく、わたしが彼等の主になれば、
その化身が、わたしに乗り移るのだろう、そう思った。
美女と白い大蛇13
名指しではいえないが、幾多の新興宗教、
スピリチュアルランキング上位にある自称の霊能者など、
インチキがまかり通る昨今であるから、
このブログとの対比によって、読者は疑問を持てばいい。
しかしながら、
自分が信じた宗教観や神というものを、
偽りであったと看破することが出来ないのも、
悲しいかな人間の性であること。。
結論から言うなら、人間は神を認識することが出来ないということ。
人間が、「わたしは、何々の神である。」そう言った瞬間から、
偽善と搾取とが始まること。
しかし、この白い大蛇は程度の低い悪霊ではなかった。
美人の先生を通して神を宣言してはいなかった。
しかし、先生と信者を翻弄したことは罪といえるだろう。
そう思った瞬間、またしても白蛇はいう。
「いや、人間が目覚めないことが罪だ。」
「だったら、お前が目覚めさせたらどうか。」
「それは許されない。」
「誰が許さないと言うのか。」
「お前達、人間がだ。」
「え、なんだって・・・?」
人間が目覚めを拒むという白蛇の指摘にも一理ある、と思った。
何故なら、貧しさや苦しみはイヤだけれど、まだ人間を卒業したくないという人、
世俗の楽しみを終えたくないと思う人は、圧倒的な数に上るからだ。
いや、お金があり、苦悩や悲しみが無ければ、 目覚めようと言う人は、いないだろう。
このことについて、イエス・キリストは、
「ラクダが針の穴を通るより、金持ちが神の国へ入るのは、もっと難しい」と、喩えている。
ただ唯物的な生き方に飽き足らず、精神世界を覗き込み、神の加護や霊的な力にあやかろうと考える人は以外に多い。
そうした欲望型のタイプは、スピリチュアルや宗教の門を叩くが、目覚めようとする人は、ほとんどいない。
自分が信じ込んだものから、心地良く洗脳されていれば、それで満足なのだ。
だから、「貴方の宗教や崇拝する教祖は、 ニセ者だよ」と指摘されると、大方は怒り出す。
「俺が信じたものにケチをつけるな!」
「心地 よく夢を見ている眠りを邪魔するな」という事なのだろう。
「その通りだ。」
白蛇は、わたしの思考を読み取って同意した。
やはり、わたしには勝てる相手では無い。
「なぜ、わたしを呼んだのか?」
「過去世から、お前を勧誘してきたのだ。」
「笑い ヤクルトおばさんじゃああるまいし。」
「なぜ、お前には聖霊がつくのか、知らないだろう。」
「・・・・」
「人一倍馬鹿で、危なっかしいから聖霊が保護しているのかな。」
「やはり、お前は馬鹿な屑だ。普通の人間に聖霊はつかない。」
「馬鹿だ屑だと、そんなに褒めなくてもいい。」
わたしは、見知らぬ青年達から呼び止められて、ここへ連れて来られただけのこと。
得体の知れない大蛇の化身など、なんら興味が無い。
しかしながら、言われてみれば、
美しいパール色のオーラは、 邪悪さが無いだけでなく、
聖なるオーラに属するのかも知れない。というのも聖霊のなかにも同じオーラがあったからだ。
いや待てよ。あの聖霊もまた、この白蛇と同じく、悪魔なのかも知れない、ふとそう思った。
すると、白蛇は、こう言った。
「霊的なことには、そのように懐疑的な姿勢がよい。」
わたしが問い詰めようとしたにも関わらず、白蛇から説教される立場に逆転したようだ。
なんとしても形勢を逆転させなければ、わたしが屑男に成り下がる。
「自分を知らない者は、みな屑だ。」 白蛇は答えを先回りしてくるのは、
心の中を見透かされているのだ。これでは勝てない。
わたしの思考と想念を止めない限り、勝ち目は無かった。
時間稼ぎのため、こう言った。
「それは言い過ぎではないか。」
「屑だから無数の転生を繰り返している。哀れかな人間は・・・」
なんと、人間をすべて屑だと言い放ったではないか。
そう指摘することも間違っていない。
この白い大蛇は、一体、何者なのか。
まさか、あの聖霊が二役をしているのだろうか???
わたしは、霊的なことを延々と書いているものの、
本当は霊的なことが大嫌いであって、
29 歳の時、その力を封印している。
いま、体験の一部を書いているのは、
瞑想教室を開いたためである。(2009年頃のブログ記事)
瞑想やスピリチュアル、ヒーリングというものは、
霊的関係と切っても切れるものではないことを伝えたいからである。
しかし、わたしの体験を読むのも面白いかも 知れないが、
本当は、読者自身が体験することに意義があるのであって、
わたしの軌跡を参考にしてもらいたい。
間違った神や宗教を信じるとき、
あの美人先生のように、一生を終えてしまいかねない。