本ブログでは、日浦祐次氏の過去のブログ記事を掲載させて頂いております。日浦氏にとっては過去のものであり、現在のご自身と、運営する瞑想教室「サハスラーラ新宿」にとっては不要とのお考えから全文削除されたそうです。管理人が、過去に日浦氏のブログにより救われた経験を持つため、後に続く真理を求める人のために是非とも!と、再掲載をお願いいたしましたところ快くご承諾下さいました。この場を借りて、日浦祐次氏に厚く御礼申し上げます。 Copyright © Yuuji Hiura all rights reserved.
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美女と白い大蛇21
わたしと先生は、信者達の目には見えない霊的世界において、
互いの力を出し切った壮絶な戦いを繰り広げたのだった。
それは先生との戦いではなく、
先生の背後にいた「某霊団」との戦いを意味する。
このブログでは、その断片を簡略化して書いたに過ぎない。
この勝敗はどちらが優勢なのか判別がつかない。
わたしと先生の対話だけを聞いていた信者達は、
先生と同じ期待(教団の主になること)を抱いていたのだろうが、
見えざる霊的世界に繰り広げられた壮絶な戦いを知らないはずだ。
信者たちは、わたしの決意を知って、「主」を断ることを止めなかった。
ただ先生の場合は、過去世の約束だから、
主を引き受けて欲しいと言った。
更には過去世において、わたしが師であり、
先生が弟子であって、これらの霊術を師(わたし)から伝授されたとも言った。
それが事実なら、わたしは約束を守らない師ということか。
というか、弟子が思い出した過去世を師が思い出していないということか。
もし、そうだとすれば、師は愚かであり、
その弟子は優れた霊能者であり、
かつ優れたヒーラーに成長したとも言えるだろう。
先生の言葉が事実なら、わたしを師と仰ぐ必要も無いだろう。
わたしは先生との過去世について、
その記憶を忘れていたが先生の存在は懐かしい弟子として認識していた。
この先生は、もう師としての力があったのだから
わたしは、敢えて、「主」になることを遠慮したのも事実だった。
弟子が正しい成長を果たすことは何よりの喜びなのだ。
この出会いの関係は、ここで終わらなかったが、
ブログ記事の上では終わりとしたい。
この体験から約一年後、別の宗教団体において、
やはり「主」に勧誘される現象が起こった。
その誘いも断っているが、誘いを断ったゆえにか、
長年の苦悩を体験することになった。
そのことは忌まわしい思い出だから、
自伝書「覚醒への道標」からも削除した。
この度、瞑想教室を開いたのは、
過去世に失敗した宗教体験の反省を踏まえている。
完
美女と白い大蛇20
この当時、わたしは「瞑想」について、あまり知らなかった。
というか瞑想という言葉を知っていたが中身は知らなかった。
ただ宗教というものが遥か太古の時代から、
人間を盲目にするシステムだという認識があった。
それは、わたしが過去世の一部を思い出したとき、
同時に知覚した古い記憶なのだ。
それら宗教の多くは、神や霊魂を語る。
生まれ変わりも説く。
そうした現象等も示すことができる。
遠いむかし、わたしも宗教を打ち立てた体験をもつ。
人々を目覚めさせようとしたことが、意に反して、よい結末にならなかった。
その後悔から、宗教や霊的世界の関心を強く押し隠して生きている。
それが現在の自分なのだ。
過去の反映こそ、現在の生き方なのだ。
瞑想という言葉は、過去世に体験した宗教のイメージを持っていた。
だから瞑想について、その中身を知ろうという欲求も押し殺してきた。
中には人間の目覚めを邪魔する霊的な世界がある。
また金儲けの宗教も多い。
多くは、それらの詐術に陥ってしまう。
今回のケースは、その原因が分からない。
金縛りになって、 苦しんでいる先生は、
かなりレベルの高い霊能者であることが分かる。
過去世においても、 様々な霊的修行を体験しているに違いない。
この先生と出会ったのは、何かの「縁」によるのだろう。
残念ながら、この先生の過去世を知ることが出来ない。
自分が思い出した部分的な過去世の記憶のなかにも先生の記憶が無かった。
腕時計を見たら、もう二時間以上も経っていた。
ランチ・タイムを逃がしたから、空腹だった。
結末はどうあれ、わたしは先生の金縛りを解いた。
先生は深い呼吸を繰り返し、起き上がって、タタミに座った。
「大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。」
「先生、わたしは帰ります。お元気で。」
先生の金縛りを解いた理由は、この先生が苦しんでいるからであった。
金縛りを解いて、再び 神がかりになったとしても、
それは先生が元々持っていた性質であり、
わたしの責任ではあるまい。
もし、この先生の幻術によって、
わたしが得体の知れない神々に支配されたとしたなら、
それは、 わたしの力不足だと思えばいい。
或いは、予定された体験の一部(教団の主という椅子)だと受け止めることも出来るだろう。
そうした見えざる理由はどうあれ、
今の自分は宗教団体の主になる気がないことは明らかだ。
もし、この出会いが過去世の約束事であるとしたなら、
約束事を 破棄するのだから、
繰り返し、こうした現象が立ち現れる可能性があるに違いない。
美女と白い大蛇19
「それは、やめよ!」
そう忠告したのは、かの聖霊か。
しかし、なぜ聖霊は、わたしに姿を見せないのか。
姿なき声は信じるに値するだろうか。
わたしは聖霊の忠告を聞かず、踊り狂うシャーマンを金縛りにした。
畳の上に音をたてて倒れたシャーマンには、
目もくれず、シャーマンが舞っていた虚空を凝視した。
すると、今まで観えていた霊的存在は、かき消されていた。
そうか、分かったぞ!
シャーマンの念動力によって、
霊的存在としての姿を映像化していたのだ。
恐るべし、 このシャーマンは、清楚な先生ではなかった。
わたしは眼をあけて、畳の上で硬直する先生を見た。
身動きが取れないまま苦しそうな息使いだ。
わたしは、先生に再び問いかけた。
「先生、あなたの神は、何ものか?」
先生は何も答えないまま、目を閉じた。
わたしは金縛りの強さを増して、先生の妖術を封じ込めた。
もはや、このシャーマンの心臓を鼓舞する霊的な音楽も鳴らない。
苦しそうなシャーマンのオーラは光りを失い、
霧のような白いエーテルの塊になった。
あの美しいパール色のオーラは消えた。
金縛りになった先生は、畳の上に仰向けに倒れて、
胸をはだけて太ももを顕にしている。
信者達を目の前にして、みっともない肢体の晒し方だと思った。
女性の信者を手招きして呼び、先生の身支度を整えてもらったが、
先生は汗だくで、かなり呼吸が苦しそうだった。
信者たちの心配は半端ではないことが分かる。
このままの状態にしておけない。さりとて金縛りを解けば、
再びあの神々が支配し、わたしも支配されるに違いない。
言うまでもなく、このまま退散するわけにもいかない。
※管理人太郎。
しかし。24歳ですよ。すごいことだとは思いませんか?
こんな体験をして冷静に入られることも驚きです。
日浦氏の小学生の頃の体験も凄まじいものがありますが、
なんという、人生経験なのでしょう。
美女と白い大蛇18
その時、忠告が入った。
「待てよ、オンナを見てはいけない。」
そういう姿なき声は、大天使か聖霊なのか。
わたしは、われに返って、瞑目した。
そして、音の無い、あの世の音楽に意識を合わせた。
そこには、美しいパール色のオーラを放つ白い大蛇の姿があり、
また、雑誌などに見る天照大神らしき姿もあった。
そして、天女のような姿をした 霊的存在としての意識が沢山いた。
天女たちは、風変わりな楽器をもって、それを奏でていた。
太鼓のような楽器は、シャーマンの心臓を鼓舞するための振動を作り出していた。
こうした様々な霊的存在が、この先生の信奉する「神」だと言うのだろうか。
そうであるなら、決して邪教とは いえないだろうと思った。
それにしても、神話を絵にしたような世界が実在することの不思議さがあった。
わたしの近くには、かの聖霊も立ち会っているのだから、この光景は幻覚ではあるまい。
天照大神のような霊的存在について、聖霊の見解を求めたら、こう答えた。
「神話というのは、人間の創作であるから、お前が観たものこそ事実だ。」と。
わたしが観ている実態が、事実であるなら、
これらの神々が、わたしを「主」にするということか。
しかし、何かがおかしいのだ。
わたしの内奥から、そうした懐疑の思念が生まれた。
だから聖霊のいう事にさえ、わたしは懐疑を抱いた。
それは、積極的な疑いではない。
もちろん否定でも無い。
信じるという基準をどこに置くかが問題なのだ。
論理的 思考、経験値に置くのか。
それとも無責任な他人の意見に従うか。
あるいは、根拠なき 直感に委ねるのか。
わたしの懐疑心が経験や直感に依存するとしたら、この懐疑心も問題なのだ。
がしかし、何かがおかしいのだ。
もう一度、このシャーマンを金縛りにしたらどうなるのか?
美女と白い大蛇17
先生は天上を仰ぎ見ながら、
またしても和歌のような歌を口ずさみながら、静かに立ち上がった。
そして、ゆっくりとした舞を見せた。
しかし、よく見ると、先生は踊っているのではない。
神を呼んでいるのだとわたしは思った。
果たして、あの真珠色をした白い大蛇が現れるのか、
それとも 先生の前には、天照大見神の男性神が姿を現すのだろうか。
先生の舞は以前にも 増して、妖艶な大胆な姿になった。
それを信者たちも固唾を呑んで、見守っていた。
普段の信者には、恐らく見せないであろう妖艶な先生の舞を見ていると、
音の無い音楽が聞こえた。それは、この世の音響ではない。
霊的な世界から流れる玄妙なる音楽だ。
わたし自身は、かなりのオンチだし、音楽のことは分からないが、
素晴らしい 音楽だと分かる。
この先生は、あの世の音楽に合わせて踊っているのだ。
いや、すでに何者かによって、 身体と意識をコントロールされているからこそ、
このような激しくも大胆な妖艶な舞を見せているのだろう。
先生は舞に熱中していて、信者たちには目もくれない。
がしかし、 ターゲットになった「わたし」には、
時々、鋭い眼光を放っている。
その光景は、古代の シャーマンを彷彿させた。
やはり、あの「神」が来たのか?
今度は、どんな姿を見せるというのか。
「主さま、おいでください。」
先生、と言うより、巫女、シャーマンに変貌した彼女は、
舞いながら手招きして、わたしを呼んでいる。
わたしはイヤな予感がした。
まさか、神と結合するための、イニシエーションが始まるのかというフィーリングが湧いた。
あの世から流されている音楽を止めない限り、
オンナシャーマンは、妖艶な舞を止めないだろう。
わたしは、ダンスの先生がさじを投げたくらい、
ダンスもオンチなのだ。そんな恥を知らない大勢のまえで、晒したくはない。
そのシャーマンになった先生は、着物の裾を上げて、
腰紐に差し入れて、白い太ももを顕にしたではないか。
得たいの知れない「神」が乗り移ったようなシャーマンに変貌した長身の先生は、
なんと両肩も露出させたではないか。
はだけた胸は、さらしが巻いてあり、バストを露出しなかったので、
ホッとしたが、豊満とわかる谷間が見えている。
しかし、それだけではない。
クリップを外して長い髪を振りほどいたのだ!
今までの清楚な先生とは、まったく印象が違った。
こうした行為は、先生の 計画的な演技なのだろうか。
思わず信者たちを見たら、彼等も驚愕の眼差しだった。
ここは、ストリップ劇場のはずがないのだから、
全裸にはならないだろうが、