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覚醒への道標 日浦裕次

本ブログでは、日浦祐次氏の過去のブログ記事を掲載させて頂いております。日浦氏にとっては過去のものであり、現在のご自身と、運営する瞑想教室「サハスラーラ新宿」にとっては不要とのお考えから全文削除されたそうです。管理人が、過去に日浦氏のブログにより救われた経験を持つため、後に続く真理を求める人のために是非とも!と、再掲載をお願いいたしましたところ快くご承諾下さいました。この場を借りて、日浦祐次氏に厚く御礼申し上げます。 Copyright © Yuuji Hiura all rights reserved.

丹沢山中の瞑想修行27

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丹沢山中の瞑想修行27

丹沢山中の瞑想修行27


人の目覚めとは、始めに複雑怪奇な人体のシステムを認知しなければならず、

また、こころによっては、こころを観察し、こころを変えることはできない。

このことは、こころというものを理解すれば、分かることだ。

だから、こころを説く宗教では、こころの実体を学ぶことが不可能に近い。

目覚めへ至る道へは、果てしない距離があり、気の遠くなるような意識の高みがあり、

そこへ向かうには、正しい真理の学習と強い忍耐力が求められる。

探求の方法が正しければ、三歳児でも時の無い空間へ入ることが出来るのも事実である。』

 講演内容(中略)

 

自分に目覚めなければ、本当の幸福も見いだせず、

生は空しく過ぎ去り、カルマを残し、その修正に転生する、と言われている。

生きているあいだに、カルマを消す修行法もあるというが、

その前に目覚めなければならない。

だから生を意義あるものにするもののひとつに瞑想があり、

それにより、自分と向かい合うことができる。

その始めは、わたしは何ものか、と問うことから始まり、

五感の感覚反応と思考を越えてゆくメソッドを学ぶことが求められる。

それは、反省という批判的な観念や 後悔の意識ではなく、

思考や感情の元を探求することで、

わたしという幻想からも離れることができるだろう。』

(講演の要約終り)

 

この講演が終えて後、講演内容を理解した人は皆無だった。

話し方に問題があったのかどうか。。。

某開祖からは、教団の後継者になって欲しいと懇願されたが、

わたしは宗教が好きではないし、自分の霊的力にも関心ないから辞退した。

この教団は現在も実在しているため、その関わりは書かない。

また白隠禅師との関係も割愛した。

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プロフィール

HN:
管理人太郎
性別:
男性
自己紹介:
みなさん初めまして管理人です。ブログのタイトル「覚醒への道標」とは、日浦氏の過去のHPと書籍のタイトルの真似です。
日浦裕次氏への質問などは、「サハスラーラ新宿」へお願いいたします。コメント欄に書き込みされても日浦氏が見るとは限りません。
PCは不慣れですが、温かい目で応援して下さい。どうぞ宜しくお願い申しあげます。

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