忍者ブログ

覚醒への道標 日浦裕次

本ブログでは、日浦祐次氏の過去のブログ記事を掲載させて頂いております。日浦氏にとっては過去のものであり、現在のご自身と、運営する瞑想教室「サハスラーラ新宿」にとっては不要とのお考えから全文削除されたそうです。管理人が、過去に日浦氏のブログにより救われた経験を持つため、後に続く真理を求める人のために是非とも!と、再掲載をお願いいたしましたところ快くご承諾下さいました。この場を借りて、日浦祐次氏に厚く御礼申し上げます。 Copyright © Yuuji Hiura all rights reserved.

丹沢山中の瞑想修行25

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

丹沢山中の瞑想修行25

丹沢山中の瞑想修行25

 

『諸君は信仰者だから、神を信じているのだろうか。

しかし、誰もが神を見たことが無いだろうと思う。

事実、人間は神を見ることが出来ないが、

この自然界を通して、神の働きを知ることはできる。

 

先ず、人体と言うのは肉体のほかにも、

二つかそれ以上の身体を持っている事実を知ることができる。

肉体に同居するそれらの意識体は、肉体を離れても活動することができる。

そこに開かれる霊的な世界こそ、わたし達の生まれ故郷だと体験的に知ることが出来る。

このように、この物質世界を通して現れる複雑な現象、その元を知ることはできる。

三つの身体や実在の世界について、人間は理解できないから、

人や物事を好き嫌いによって、自己的に判断し、非難していないだろうか。

人間の知性では神を知ることが出来ないから無理もないのだが。

 

しかし、真理というものが、神の働きであるとすれば、

真理を見るための眼差しが必要になる。

それは、どんなに明晰な論理的思考によっても、知ることが出来ない。

何故なら思考は時間に制約されるからである。

思考によっては、時のない実在の世界を知ることは出来ない。

では思考を用いないためには、どうすればいいのか。

五感の反応を止めるとき大脳や思考は静まる。

五感の反応とは、目で見ることや耳で聞くときの意識的な感覚の反応であり、

これらは思考の元であり、異次元を知る道具ではない。

 

異次元を識別できない五感の感覚、

それを元にした思考や感情は止まらなければ、

時の無い神の働きを知ることが出来ない。

 

このような五感の反応を完全に沈黙させる必要性は、いくたの宗教も様々に語っている。

心を静めよと。

だが、誰も思考を止める方法を示さないし、

こころを完全に沈黙させる方法論も示さない。

だから誰も思考を止めることは出来ない。

しかし、思考は確かに終わるのだ。

 

拍手[9回]

PR

コメント

忍者カウンター

プロフィール

HN:
管理人太郎
性別:
男性
自己紹介:
みなさん初めまして管理人です。ブログのタイトル「覚醒への道標」とは、日浦氏の過去のHPと書籍のタイトルの真似です。
日浦裕次氏への質問などは、「サハスラーラ新宿」へお願いいたします。コメント欄に書き込みされても日浦氏が見るとは限りません。
PCは不慣れですが、温かい目で応援して下さい。どうぞ宜しくお願い申しあげます。

P R